合成の誤謬と談合体質の再評価

企業はアルバイト等を使い人件費コストを下げる事で、
自分で自分の会社を「倒産に追い込んでいる」事に気付かない。
(10月17日 「株式日記」より)
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/4a7cf2cf884279870cdc2993935841ff


局所的かつ短期的最適判断の合成が
大域的に非常にまずい状況をもたらす結果
各局所においても長期的にもまずい状況をもたらす.
このことを合成の誤謬と呼ぶ.


企業は,
自分で自分の会社を倒産に追い込んでいるという合成の誤謬に気付いていないのか?
だから経営方針を修正できないのか?


理屈で言うと,それはちがうと思う.


合成の誤謬を犯していることに気付いていても,
個々の企業が自分の損を覚悟で経営方針を修正することは
単にその一企業の敗北にしか繋がらない.だからそもそも修正できないのだ.


業界が全体として合成の誤謬を犯さないためには,
短期的には損に繋がるような行動を総員が一斉に起こさねばならない.
一斉にというのは,全員がタイミングを合わせて同時に,という意味だ.
全員がタイミングを合わせるためには,
総員の行動を束ねるリーダー組織もしくは個人が必要であり,
少数の企業が皆を出し抜くことには短期的な合理性があるから,
そうした裏切り者が出ないための統制が必要である.
各構成員が気付いただけでは修正できない.
ここが合成の誤謬の肝心なところだと思う.


「談合」は,業界の大域的最適のために
各局所における短期的報酬を制限するシステムであった.
「官製談合」は,そのリーダーシップを官が担ったものであった.


「談合」が自由競争を阻害する要因になっていたり,
汚職の温床となっていたからといって,
このシステム全部を潰す必要が本当にあっただろうか?
システム全部を潰す以外の策は本当に無かっただろうか?


過当競争によって失われるもの(というか今まさに失われつつあるもの)は非常に大きい.
たとえば産婦人科医,小児科医の不足が深刻になってきたが,これは医者派遣の配分を強烈な権力のもとに行ってきた医局制度破壊のごくごく自然な副作用だとされている.
つまり,職業分野を選択することが自由になった結果として,
収入や訴訟リスクなどを見た結果,比較的「損」である分野の人気が落ち,
人数が減った結果として仕事はさらにハードとなり,分野としての人気はさらに落ちてくるという悪循環が今も回り続けているらしい.


ひとは最低限の収入をとった先では,それ以外の何かを求めて生きるものである.
多少の損があっても,それで生活ができなくなるほどのものでなければ,
社会的使命感とか個人的好みとか,
それに加えてほんのちょっと所属組織からの生活保証などがあれば
なんとか損失補填して幸せにやってゆけるものだ.
しかし過当競争状況では,損得以外の何かを求める余裕全てが失われる.局所短期的自由のための長期的不自由は,要するに合成の誤謬である.


談合は,誰かどこかで損をとることの埋め合わせにその誰かがどこかで得をとるための約束を互いに取り付けあう制度である.
3年レベルの計画の発注を取り合う建設業界では10年単位でのやりとりがあったそうだ.
競争関係にもある企業間で,こんなにも長期にわたる約束事を守り合って
協力関係を保つのは並大抵のことではない.
これを可能にしたのは,どこかで並大抵でない
相互信頼獲得力=利益調整力=談合力=政治力
が働いたからである.
逆に言うと談合の破壊,すなわち談合力の破壊は,
並大抵でなかった相互信頼の破壊であった.



さて,ここまで
このシステム全部を潰す必要が本当にあっただろうか?
について考えてきたが,もうちょっと別の問い方をしてみる.
こういったシステム全部を潰す必要があったのは誰だろうか?
こう問うと,その答えは明らかである.
「自由競争を阻害するな」は,虚飾を全てはぎ取って翻訳すると
「システムの外にいる俺を参入させろ」という意味だ.
日本国内の各種業界を覆ってきた談合体質を
非関税障壁」と呼んで忌み嫌っていたひとたちが実際にいて,
そのひとたちは結局のところその戦いに勝利したわけだ.



なぜ僕がこんなことを書いているかというと,
合成の誤謬および,その対策を行う談合システムには
分野間を横断する一般性がありそうだと思っていて,
いつかなんらかの形で切り込めたらと思っているから.
まだまだまだまだ妄想レベルなのでここにこうして書いてみたのだけども,
どこかの分野できちんと考えて発表している人もきっといるのだろう.
誰か知っている人は教えてくれたらうれしいっす.