もう決してインフルエンザウィルスを移さないようにしないことを予防する努力の断固阻止運動に反対する意向に対立する思いをお互いに確かめあったりしたくないだなんて,言わないよ絶対.










この辺      ↑

に,今日の朝,あたり一面の銀世界を最新のデジカメで撮影した

超高画質フルカラーの美しい写真があると思ってみて,

その光の氾濫に感動して欲しい.

ハッピーとは何であり,何でないか.

上記にあるような,昨年の反省と新年の抱負に関連して,
ハッピーとは何であり,何でないか.について.
いまは,骨組みだけをまとめてここに書いておく.



「自由」「健康」「お金」と同様に,「ハッピー」も
全ての基盤にある「ライフ層」の上層に置かれたインフラやその状態を示す言葉に過ぎない.
インフラ(メディアと言ってもよい)はコンテンツを載せてこそ意味があるのであって,
決してそれそのものをコンテンツと誤解する愚を犯してはならない.
(このことにはもっと早く気付きたかったが,遅すぎることはない)


こう書くと,コンテンツさえあればメディアは何でもいいのだ,そのコンテンツは何だ?という話になる.
しかし映画タイトルを唱えていれば映画が始まるという簡単なものではない.
供給元にも都合というものがあるわけだし,
そもそもあなただけのコンテンツが既にあなたの持つインフラの上に載っており,走っている.
それを途中で捨てて入れ替えられるようにはなっていなさそうである.
性急に何か一つのタイトルに飛びつくことでそれが得られると思うのは間違いであり
宗教のもとだと思う.


選択と集中
これはハッピー以上に重要と思うのだが,
その扱い方や評価についてあまり考えてこなかったためによくわからない.
この点に僕は後悔と反省を持っている.
これもまたインフラに過ぎないが,
インフラにまともなコンテンツを意図的に載せてゆくうえで不可欠の基盤となるだろうと思うのだ.
(このことにももっと早く気付き,学び,訓練したかったが,まだまだ遅すぎることはない)


あとの続きは体験の裏付けをもっていつかどこかで書きたい.

新年の抱負のような話

かならずしも,新年にあたってひねり出すように考えたものではないが,
新年を迎えるにあたって手の内に抱いていた話をここに記録しておく.


キーワード的に言うなれば,こんなところだ.



  選択と集中

    すなわち,
      広い展望にもとづくスムーズなタスク切り替えと
        安定な状態保持にもとづく深い潜水
          以上2点の両立

      そのための生活デザインの工夫.


昨年はハッピーな一年であった.
第一にハッピーを振りまく人間に,多くの助けをいただいた.
第二に自分なりに自分や身の回りの人間がハッピーになるための工夫もいろいろ凝らして,それらも大筋では功を奏してきたと思う.


しかし,昨年一年をふまえた今はっきり言えることは,
人生で大事なものはハッピーだけではない.
ということだ.


人生で大事なものはそんなに多くない.
僕は二十代前半ぐらいまでの間は,きっとどこかにあるはずの「人生で最も大事なもの」をさがして歩き,これぞと思う度にその他の全てを捨てる極端さを発揮して人にあきれられたり感心(良い意味か悪い意味か不明だったが)されたりしてきた.


しかし人生で大事なものは決して一つではない.
二十代後半に入りそう思うようになってからは,工夫ということをするようになった.極端に走るのは工夫を怠ることと同義であったと反省もした.


ハッピーは大事なものだが,大事なものはそれだけではない.
「それは何か?」に対して,もやっとした確信が胸の裡にはあるが,
それを今の僕は言葉にできていないし,まだそうするつもりはない.
またそれを,人生(ライフ)デザインに実装するほどの確信ではない.
もうすこしスケールの小さな生活デザインにならば実装していくことができそうな気がしてきていて,
それが「選択と集中」,とくに「集中」という言葉に込めた真意である.


抱負のコトバのとおりのモノが僕の生活の中に現れ始めたら,
またここに丁寧に書いてみたい.

仕事初め

shige-o2008-01-03


写真は今日のおやつ「苺のティラミスチョコパイ」

購入時,そして摂取時には正月太りという言葉を忘れていた.

たぶん「糖分不足を補うため」という言い訳は効かないのだった.



昨日は旧友とノンアルコールの食事会だったのだが,

ノンアルコールであることを忘れていた.

酔っぱらったような言動を連発してしまったが,

たぶん「酒の席であるから」の言い訳は効かないのだった.

仕事納め

細かい雑務はいちおう目処がついてそれでも余力が残っていたので
今日は数ヶ月の間書きかけ放置中であった論文にようやく再着手した.
どうせ明日は電車とフェリーに乗って査読したり居眠りしたりする日になるのだから,寝不足になっても関係ねぇ
と,往生際悪くごにょごにょ文章をいじった結果,まぁまぁ形になり始めた気がする.


とはいえまだ頭からしっぽまで糸がつながったわけではない.
つながるところまでぐらいは一気に書いてしまって,そのへんで寝かせるのが理想なのだけどもそろそろ時間切れかなぁ.


天井にはたきを二発ぐらいたたきつけてホコリがモウっとたったような状況で年越しを迎える
ことになってしまい仕事が納まった感じは一切無し.
区切りをつけることは重要なのだけども,僕らみたいな仕事をしていると,
暦ではなくて,もう少し外的な要因が決め手になって区切りが決まってくるのだと思うので,これはこれで仕方がない.ということにしておく.