カードの色のほかに何が変わったか
元ネタサイト:http://www.quirkology.com/
紹介記事:http://med-legend.com/mt/archives/2007/05/post_1093.html
紹介記事:http://www.popxpop.com/archives/2007/05/post_251.html
人間がいかにだまされやすいものであるか、実感できます。
- 一点に注意が引かれたときこそ、その周辺を意識するべきこと
- 人はどんなときにだまされるか、その状況をおおいに学び、チェックリストとすること
- だまされてはならない局面では、必ず立ち止まって慎重にチェックリストを確認すること
- それでも「自分はだまされないはず」とはゆめゆめ思わないこと
- そして、最後にはだまされてもよい覚悟をすること
それにつけても「周辺」という言葉の持つ意味のあまりにも広いこと。
「周辺視野」という画像の枠だけのことではない。
手品をやっているのだ、手品には種があるのだ、出演者はだます側とだまされる側のひとなのだ、
などなどの暗黙の意味的枠組みまでもが崩れていることに、どうやって気づくことができるのか。
カメラがカードを視野外に出した瞬間に、
これはカメラトリックだ出演者みんなグルだということまでは気づくことができた。
これは画像の枠に対しては僕が意識できていたからだ。
でも、まさかまさかここまで大掛かりなダマシをしているとまでは気づけなかった。
これは意味状況の枠を意識できなかったせいだ。
テレビ新聞週刊誌インターネットニュースもろもろで
世界や日本の状況を理解した気になっている僕らは
間違いなく今でもだまされて続けているのに、
何に関してだまされているのか、ということにすら気付いていない。
哲学的そして原理的な意味での無知の知は極論として一方で置いといて、
もっとなまなましい現実俗世界での無知についてときどき背筋が寒くなる。
誰も彼もが一斉に、目の前にはっきりと見えているものを見えなくさせられている。
こういう冷え冷えとした感じは忘れたくない。