コンピュータユーザーたる人間の研究がますます大事になってきたこと

表題の件について、経済から見た考察が大変に説得力があったのでご紹介します。

過剰の経済学(池田信夫)
現代では個人が情報の生産を行なって競争が行なわれている(株式日記)

  • ある資源が過剰になれば、必ず別の資源が相対的に稀少なボトルネックになるから、重要なのは過剰な資源ではなくボトルネックなのである
  • ムーアの法則によって、1960年代から今日までに計算能力の価格は1億分の1になった
  • PCの登場によってボトルネックはユーザーになった。ここでは逆に、ユーザーの稀少な時間を効率的に配分するため、コンピュータは各人に所有され、その大部分は遊んでいる。

>>情報の豊かさは、それが消費するものの稀少性を意味する。情報が消費するものは、かなり明白である。それは情報を受け取る人の関心を消費するのである。したがって情報の豊かさは関心の稀少性を作り出し、それを消費する膨大な情報源に対して関心を効率的に配分する必要が生じる。 (ハーバート・サイモン,1971) <<


有限で稀少な資源である「関心」の時空間的最適配置など、ますますホットな分野になりつつあるが、
個々人にとって「関心」の絶対量を増やす方向もぜひとも考えていきたい。
ついこないだの「下流社会」での考察と考え合わせれば、金銭的な経済よりも、むしろ「関心」の経済において上流と下流の階級が分かれているのだ。
これはテクノロジー(広告、情報伝達から広い意味での教育・洗脳に至る)の問題であって、たぶん努力の問題ではないと思うんだけど。。。