岡本太郎との対談

芸術家 岡本太郎の名は、
大阪万博公園の太陽の塔の作者として、もしくは
芸術は爆発だ!」のキャッチフレーズなどでよく知られている。


彼の芸術作品は確かに、彼の感性・思想・哲学の結晶ではあったが、
そもそもそういう芸術作品が結晶化する背景に
たいへんな広さと深さの思想・哲学があったことはあんまり知られていない。
というか僕は長いこと知らなかった。
彼の作品群を好きではあったが、人物としては単なるエキセントリックなおっさんだと思ってナめていた。冗談じゃない。とんでもなかった。


彼は、それらをコトバにした論考をたくさん書いている。
また彼の対談を集めた本があって、最近夜寝る前などに少しずつ読みすすめているのだが、面白い。


[http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/454402093X/249-1177038-9168304:title=「対談集 岡本太郎発言!」 二玄社 ; ISBN: 454402093X]



まず対談相手が凄い。
当時の有名な学者思想家である梅棹忠夫氏、桑原武夫氏、
美味しんぼ海原雄山のモデルとなった北大路魯山人
参議院議員になったばかりの青島幸男氏などなど、
日本国各界のトップレベルの実績と実力とそれに裏打ちされた自信と自負を持つ人間たちばかり。
それが岡本太郎の前でガンガン火花の散るような議論をする。
毒舌どころでない、にこやかな口調で本気のボディの打ち合いをやっている。



物事の評価の白黒をはっきりつける。良いものは良い、悪いものは悪い、とやってぶつけ合う。
「俺はだれそれのなになにを高く評価する、何故なら…。」「なんだと、そんなものはちっとも価値がない。」
とやっている。読むほうとしてはたいへん小気味が良い。



そういえば最近、菅直人竹中平蔵の論争を見た。比較的、議論というものの訓練のされた度合の高い人間同士であるはずだったのだが、政党の都合というハンディキャップを互いに負っていることを考えに入れても、テレビの時間枠の問題があったことを考えに入れても、ちょっとこれはどうか?という後味のすっきりしない対談に終わってしまっていた。



まぁテレビの中でそういうものを探してもしかたないんだろうが、
そもそも現代の日本で、本気の議論(たとえば岡本太郎対談集で得られる類いの)が行われている場所がどこかにあるだろうか?
強者に媚び、大衆に媚びる。今回の政局も中国とアメリカどっちの強者に媚びるかを争点にして争っているようなものであってやり切れない。



万博の象徴が太陽の塔であった時代と
それがキッコロモリゾーである時代。
要するにそういう違いなのだ。



結婚前に万博公園でのデートで見た太陽の塔は、圧倒的で異様で重い存在感を放っていた。
最近遅ればせながら岡本太郎の言説に親しみつつあるためだろう、そうした重い存在感と引き比べて、逆に自分やその廻りの物事の存在感の軽さに戸惑っている今日このごろである。